私たちが見ている世界はみんな同じなのか?」カテゴリーアーカイブ

どこまでが自分なのか~身体認知~

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私たちが車を上手に運転するには、車幅を正確に感覚として捉えている必要があります。
実はこの機能、脳が自分の身体の形状を正確に把握していないからこそ可能なのではないかとされています。ちょっと意味不明ですよね。

私たちは、自分の筋肉や関節からの位置覚と呼ばれる感覚情報によって自分の身体の各パーツの相対的場所を認識しています。つまり今、どの関節をどのくらい曲げ、どの筋肉をどれくらい収縮させているのかをその感覚神経によって把握しています。

この位置覚などの感覚情報と実際に目で見た情報をもとに、自分自身をモニターし、自分の身体の「輪郭」を創造しています。実際、位置覚に異常があると目を閉じた時にバランスを崩して立っていることができなくなります。顔を洗う時にふらつくことで気づかれることが多いので「洗顔現象」と呼ばれています。

つまり、自分が自分の身体として認識している輪郭というのは、私たちが思っているよりもあいまいなものなのです。
私たちが車を運転している時には、実は身体の輪郭は車全体に拡張して捉えられているそうです。
私たちは、視覚や感覚などいろんなものをモニターしながら身体の輪郭が車全体になる感覚を掴んでいきます。だから慣れた車では車幅がなんとなくわかるんですね。

テニスや野球、ゴルフでも同じです。テニスの時は自分の手の輪郭がラケットまで延長しているそうですよ。

実はこのことを調べた実験があります。サルでですが...。
1996年理研脳科学総合研究センターの入来博士らがロンドン大学神経学研究所と共同で行った実験です。サルに熊手で物を取る訓練をさせ、脳の活動を調べました。
サルが熊手で上手に物が取れるようになった時、物を取る指を担当する神経の大脳皮質を調べたところ、熊手の先端部分に反応したそうです。

(『脳の取扱説明書』p124)
http://www.riken.jp/pr/press/2009/20091006/

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感覚は騙される~ゴムの手の錯覚~

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私たちの感覚も騙されることがあります。
実際、どれくらい自分の身体の感覚があいまいなのかということを示しているのが、2004年にロンドンの神経内科医エアソンらが行った『ゴムの手の錯覚』という実験です。

被験者は、自分の左手をテーブルの下など自分の視界から見えないところに隠して座ります。
そこには、本物そっくりのゴム製の左手が自分の目の前においてあります。

検査者は隠れて見えない被験者の手とゴム製の手を細い筆でなでます。
不思議なことに、2つの手を同時に同じ方向でなでると、被験者はゴム製の手をあたかも自分の手であるかのように感じ始めるというのです。

目の前にあるのは、自分の手じゃなくてゴムの手だと知っているにもかかわらずです。
実際に被験者に「右手で左手を指してみてください」と指示すると、被験者はゴム製の手を指す傾向がみられるそうです。

ただし、最初に自分の手とゴム製の手で、なでる方向が違ったり、タイミングが違ったりすると、被験者はゴム製の手を自分の手と感じることはないようです。

では、この時に脳は、いったいどのように働いているのでしょうか
実験中に被験者の脳の活動がどうなっているのかを、fMRIを使って調べた実験があります。
実験中まずは、頭頂葉の活動が高まります。
そして、ゴム製の手が自分の手であると感じ始めるにつれて、運動の企画に関係するとされる運動前野の活動が高まっていたのです。撫でる方向が違って、ゴムの手を自分の手と錯覚しないときには運動前野は活動しませんでした。

つまり、頭頂葉は筆でなでれていることを触覚だけでなく視覚も使って解析しているということです。
頭頂葉が、触覚からの情報と視覚からの情報が一致していると判断したとき、つまり自分の目で見ているなでる方向やタイミングと実際感じているものが同じであるとき、その情報が運動前野に送られます。
その結果として、ゴム製の手が自分の手であるという感覚が生じるのではないかと考えられています。
脳の勘違いが生まれるわけです。

同じ研究室で行われた実験で、ゴム製の手を自分の手と思わせた後に、ゴム製の手を針で突き刺そうとしてみた(実際は突き刺していない)ところ、痛みを予想すると活動する領域(前部帯状回)と自分の手を動かしたいと強く思った時に活動する領域(補足運動野)が活動していたそうです。
つまり、自分の手が針で突き刺されそうだというときと同じ反応が出ていたということです。

脳の取扱説明書 p124

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数学者は数式に美を感じる

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あじさいのシーズンに突入し、長谷は平日もにぎわっております。
これはもう、とうぶん土日のお休みは、家でまったりコースですね。
ゆっくりとマニアックな本でも読みながら過ごすことにします。

何を楽しいと思うのかは人それぞれ。
同じように、人は、いろいろなものに美しさを感じます。

多くの人に感動を与える芸術作品もありますが、意外なものに美しさを感じる人もいるようです。
なんと、数学者は、数学の方程式でも芸術に触れた時のような美しさを感じるそうです。
数学が苦手な人には、意味不明ですよね…。

ロンドンカレッジ大学の神経生物学研究所が行った実験です。
15人の数学者に60の方程式を見てもらい、その時の脳の活動を観察しました。
数学者たちには、それぞれの方程式を“美しい”か“醜い”と思うかを判定してもらいます。

すると、数学者たちが、“美しい”と思ったときは、絵画や音楽を美しいと感じる場所とされる眼窩前頭皮質が活発化していたのです

共感覚を持つ数学者ダニエル・タメットが書いた「ぼくには数字が風景に見える」という本を思い出しました。
実験に参加した数学者たちは、べつに数字が風景に見えていたわけではないとは思いますが、私たちには理解できない何かを数字から感じていたのかもしれませんね。

元ネタはこちら
http://www.newser.com/story/182243/beautiful-math-may-make-us-emotional.html

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見えているのにわからない~視覚失認~

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私たちが物を見た時、どうやってそれを認識するのでしょうか?
「歯ブラシ」を見た時、「歯ブラシ」という存在を知っていて、目が見える状態であれば、「歯ブラシ」を見て「歯ブラシ」とわかると思いますよね。

ところが、残念ながら「歯ブラシ」という存在を知っていて、目が見えていても、「歯ブラシ」をみて「歯ブラシ」とわからない人もいます。
驚くことに、「歯ブラシ」という存在はしっているので、「歯ブラシ」に触ると、「歯ブラシ」だとわかり、ちゃんと「歯ブラシ」を使う事も出来ます。

この状態を『視覚失認』と言います。

目が見えているにもかかわらず、実際に見ているものが何かわからなくなってしまうんですね。
この不思議な症状の原因は、What経路(腹側経路)と呼ばれる場所の障害だと言われています。

いったん私たちが目にした情報は、網膜から視神経などを経由して視覚野に入ります。
ここまでの経路に問題がなければ、目は見えます。

そして、いったん視覚野に入った情報は、What経路(腹側経路)とWhere経路(背側経路)に分かれます。
このWhat経路は、名前の通り、物が何か、どんな色かという事を認識しています。
ちなみにWhere経路は、物がどこにあるのか、物が動いているのであればその速さや方向を認識します。

私たちが普通に物を見て、それがわかるというのは、実はすごいことなんですね。

視覚失認 (visual agnosia)動画 (英語です)
http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=ze8VVtBgK7A

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どれくらい正確に物を見ているのか~プレグナンツの法則~

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ちゃんと見ていても意外と正確にものを見るというのは難しいようです。
では、私たちはいったいどれくらい正確にものを見ているのでしょうか?

人には見たものを最も単純で、規則的で、安定した形のものとして把握する傾向があります。
これをプレグナンツの法則といいます。

といわれても、なかなかピンとこないですよね。
具体例を挙げてみましょう。
左側の図の左のような形を見た場合、『円と三日月が二つ隣接している』というふうに解釈するのではなく、『円が三つ重なっている』というふうに解釈する傾向があります。
右側の図の左の柄を見たときに、隠れた部分を補正して、三角形に見えるのもこの法則によるものです。

これは、ものごとを素早く判断するためには便利な機能であり、その昔には生きていくために必要な能力でした。
たとえば、木の陰に隠れた敵をいち早く発見して身を守ったり、もしくは獲物をすみやかに発見したりするためには重要になるわけです。
しかし、それは同時にものごとを正確に見るという側面にとっては、弊害となります。
実際どうかということは確認しないとわからないわけですが、それに違いないと思ってほかの選択肢がなくなる可能性があるということです。

私たちが三角形だと思ってみていたものが、本当は三角形ではないように。
隠れている場所が違うだけ、つまり、見る人、視点が違うだけで、同じものではあっても全く違うものに見えてしまいます。
私たちが見ているものが、他の人にとっては全く違うものに見えているという事もありうるということです。
しかし、私たちは、相手と同じものを見ているときというのは、相手も同じように見えているはず…と思い込んでいます。

これは、単に図形だけの話なのでしょうか?
おそらくは、他のことに対しても往々にして、そういうことは起こってくるものです。
そのため、相手にはいったいどう見えているのかという確認作業を怠ると、大きな誤解が生じてしまうわけです。

時には、相手にはどう見えているのか…確認してみるのもいいかもしれません。

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環境が脳を育てる~子猫の実験~

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子供の時に何に触れるのか?ということは、その後の脳の状態を決めるのにとても重要です。
1981年にノーベル賞を受賞したウィーゼルとヒューベルが始めた子猫の実験は実に衝撃的です。

子猫の片目を一時的に遮断します。
すると、遮断するのをやめた後も、脳の視覚野の神経細胞は遮断した目に反応しなくなってしまいます。しかも、その子猫の行動観察をすると遮断した目は実際、見えなくなっているそうです。

もともと目が悪かったわけでも、脳に問題があったわけではなく、ただ単にその目に刺激がいかなかっただけです。しかも一時的に。それでも適切な時期に刺激がないことでそうなってしまうのです。

さらには、縦縞しか見えない環境で子猫を育てるとその子猫は横縞が見えなくなってしまいます。

縦縞によく反応する神経細胞は増えるのですが、横縞に反応する神経細胞は減ってしまうのです。だから、床に棒が落ちていたりしたら、つまずいて転んでしまいます。

つまり、縦縞の世界で育った子猫と横縞の世界で育った子猫では、その後同じものを見たとしても見える光景が全く違うわけです。

それくらい脳が発達する時期にどういう環境に身を置くのかというのは大切ということです。

脳の取扱説明書 p154

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親しい人が別人にみえる~カプグラ症候群~

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美しい景色や芸術作品を見て心を動かされたことはありますか?

見ているだけで幸せになったり、癒されたり、いろいろな感情が出てくることもあると思います。
これは、視覚野が情動を司る扁桃体と結びついているからではないかと考えられています。

では、この結びつきが、事故や病気などによってなくなってしまったら、私たちの世界はどうなるのでしょうか?

見ているものが味気なくなるのもそうですが、もっと深刻な問題が出てくる場合もあるようです。
カプグラ症候群という珍しい症状があります。認知症の方でもときおり報告が見られます。

これは、ごく親しい人を見た時…例えば、お母さんを見た時に、「この人は母にそっくりだけど、母じゃあないんだ。偽物と入れ替わってしまった」と主張し、場合によっては本物のお母さんを探そうと懸命に努力したりするといった症状です。

これは、通常、お母さんを見た時に生じるはずの情動反応が全く生じないため、何かが違うと感じ、偽物ではないか…と思ってしまうために生じるのではないかと考えられています。

そのため、実際お母さんが隣の部屋へ行き、その人へ電話を掛けた時などは、本物の母親であることを認識できることもあるそうです
これは聴覚野と扁桃体の結びつきが保たれている場合には、声を聴いた時に通常起こるであろう情動反応が起き、母親と話している実感が湧くからです。

ちゃんと見えているのに感情が動かない世界…寂しくないですか?
今、見ている世界を楽しみましょう。

下記も参考に
認知症の精神症状

脳とこころの豆知識 - 私たちが見ている世界はみんな同じなのか

知らない人が知人に見える~フレゴリの錯覚~

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私たちの視覚は感情と強く結びついています。

そのため、美しい景色を見て心が揺さぶられたり、芸術作品を見て感動したりと心豊かな人生を送れます。

視覚と感情を結びつける経路が障害されると、私たちの見ている世界は味気ないものとなり、時にはごく親しい人を見ても感情が湧かないため、よく知っている別人だと思ってしまう事すらあります。

それは、本人にとってとてもつらい事ですが、それとは全く逆の現象も困りものです。

フレゴリの錯覚という名前がついている現象で、全く知らない人を見かけた時に、親しい誰かが変装していると思い込んでしまうのです。これは、外見が全く似ていなくてもそういうふうに思ってしまうようです。不思議ですよね。

これは、「既に知っている」という既知の感覚を呼び起こす右の大脳辺縁系の経路が活発になりすぎるためではないかという説があります。

典型的な例になると本当に大変です。
例えば、前の恋人とその彼女にいつも見張られていると感じ、苦しみます。2人がかつらをかぶったり、メガネや帽子で変装したりして、自分をつけまわしていると思いこんでしまったのです。
見ず知らずの人に変装をとるように食って掛かったり、警察に訴えたり、その2人を避けるために遠回りをして目的地に行ったりと、その感覚に悩まされ、日常生活に支障をきたしてしまいます。

そう思うと、知っている人を見かけた時にその人だとわかり、目にする自然や芸術に心を動かされてすごすことができるってステキな事ですね。

下記も参考に
認知症の精神症状

脳とこころの豆知識 - 私たちが見ている世界はみんな同じなのか

うつだと世界は灰色に見える

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私たちは気持ちによって見えている世界が少し違う可能性があります。
自分がどのように感じているのかを色で例えて、「バラ色の人生」や「お先真っ暗」と表現することがありますが、もしかするとこれは本当のことかもしれないのです。

ドイツのフライブルグ大学の研究チームが行った実験です
網膜スキャンを使って、さまざまな白と黒のコントラストに対する網膜の反応を測定しました。

その結果、うつ状態の人では網膜の反応が大幅に低下していたそうです。
しかも、うつ状態がひどいほど網膜の反応も低かったそうです。

つまり、うつ状態だと本当に「灰色の世界」を見ているという事です。

この研究を掲載した雑誌 Biological Psychiatryの編集長 John Krystal氏は、「詩人のWilliam Cowperは『多様さは人生のスパイス』と言っています。人はうつ状態になると、見ている世界のコントラストを感じにくくなり、世界が楽しくなるようだ」と述べています。

逆に、うつ状態の人や不安を感じている人にカラーチャートの中から自分の気分を表す色を選んでもらうとグレーを選ぶ場合が多いそうです。

『脳の取扱説明書』p103

Emanuel Bubl et.al. Seeing gray when feeling blue? Depression can be measured in the eye of diseased. Biological Psychiatry 68(2), 205-208, 2010

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