医療に対する考え方

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医療 ― 医療に対する考え方

病気というものは、本人だけの問題ではなく、家族の生活をも一変させる大きな問題です。
そういう時に、少しでもお役にたてれば幸いです。

①統合医療について
②終末期医療について
③治療について


 

  • ①統合医療について

西洋医学と代替医療に対する考え方

私たちが病院で受ける治療は、ほとんどの場合、西洋医学に基づいています。内服薬や外科治療などによって、悪いところを治したり取り除いたりする治療です。そのため、即効性があります。

それに対して、代替医療は体質改善によって病気を治し、病気にならない事を目指しています。当然、即効性はありませんが、病気のもとからたつ治療とも言えます。体質改善は理想かもしれませんが、極端な話、血を流しているのに、悠長に体質改善している場合では、ないですよね。

西洋医学や代替医療に偏りすぎた考え方よりも、両方のよい点を活かしていったほうがいいのでは、と思います。

これまで19年以上も医療現場にいましたが、残念ながらどちらかの考えに偏ってしまう人を多くみかけました。どちらかを否定して、片方を妄信的に信じるよりは、いいとこ取りしたほうがいいのではないでしょうか。

例えば、薬がとても苦手な方がいます。血管が切れそうなんじゃないかと思うくらい血圧が高いにも関わらず、薬なしで治したいとおっしゃいます。その時によく言われるのが「これを飲むと一生飲み続けないといけないんでしょ」という事です。

確かにその後何の努力もしなければ、一生飲み続けることになるでしょう。けれど、その後に食事療法や運動療法を行い、体質改善がなされれば別です。しばらくは薬を飲んで、体質改善を図った後に、徐々に薬から離れるほうが安全です。高い血圧で運動を行うことは、運動中、特に運動開始時には血圧が上がるので非常に危険になってしまいます。

また逆に、何でもかんでも薬に頼りすぎて、余計に具合悪くなっている方もいます。薬の副作用で辛くなっているのに、それを薬で治そうとするんですね。「そのお薬のせいかもしれないからいったんそれをやめてみて」と言っても不安でやめられないのです。そして、「この症状を止める薬はありませんか」という話になってしまいます。そういう人たちのお薬を減らすのは本当に大変です。

私は、その人自身が自分の身体と向き合って、両者の良いところを上手に取り入れ欲しいと考えています。


 

  • ②終末期医療について

長年の医療現場に携わった立場から敢えて言わせて頂きますと、
『自分はどういう死に方をしたいのか』
ということを家族で話し合って欲しいです。

実際、最期の大変な時期になりますと、その話し合う余裕すら持てない状況も多くあります。家族で話し合うには、時間的余裕、そして何よりも精神的余裕が必要です。その時間こそが、自分の残りの人生、そして残される方の人生の両方において、のちに大切なものになります。

今はまだ元気だし、そのうちね…とお考えの方も多いと思います。でも「そのうち」というのはいつなんでしょうか?

神経内科に救急で運ばれてくる病気のほとんどは、脳梗塞です。脳梗塞という病気は、ある日突然に起こります。中には残念ながら本人には意思が確認できない状態の方もいます。そういう場合、家族と治療方針を相談して決めるのですが、たいていの人は元気な時にそういう話をしていません。

本人の希望がわからないまま、家族が重大な決断をするというのは、大変な事です。特に、回復の見込みがほとんどない延命治療をするかどうかに関しては、延命治療をしないという決断は、大切な人の死を意味するので切実です。あまり本人を苦しめるような処置はしてほしくないけれど、わずかではあっても助かる可能性があるのだったら…と悩むことになります。

もう一つの大きな問題は「介護」です。介護を長期で続けるコツは、適度に介護者が休める環境を作ることです。それと同時に、どこまでだったら自宅でみれるのかを考える、というのも大切です。まじめな方はどうしても”完璧”という言葉と隣り合わせになります。けれど、気を抜いたって、怠けたっていいんです。

子育でも同じような状況にはなりますが、最も違うことは、『終わりが見えない』ということです。子供の場合、3年で幼稚園に、6年で小学校に入る、と年数が決まっています。予測・計画が出来るのです。ずっと一緒に過ごす時間の終わりが見えます。同時に、子供は成長していきますので、1つずつできることが増え、徐々に手が離れていきます。そして、その成長にも喜びが見出せます。

しかし介護の場合は逆です。どんどん一人では出来なくなり、どんどんお世話する内容が増えていきます。身内、特に自分の両親が1つずつ何か出来なくなっていく様子を見るのは、誰にだって悲しいことです。その様子を見つづけることは、少なからず空虚感が残ります。

また、終わりが分かりません。1カ月なのか、1年なのか、3年・5年・10年なのか・・・終わりが見せません。そんな状況の中で、 『生きていて欲しい』  『いつ終わるんだろう・・・』この2つの感情が混在してしまうのが、人の感情で、当たり前だと私は思います。

けれど、その「終わり」は死を意味します。そのため、「いつ終わるんだろう」と、一瞬たりとも思ってしまった自分を、誰もが責めます。「こんな事を思ってはいけない」「自分はなんて酷い人間なんだ」そう思ってしまった自分を許せず、どんどん心に余裕がなってしまいます。

でもこれは、至ってふつうの感情で、抱いて当たり前だと思います。例えるなら、介護は終わりの無いマラソンと同じです。全力疾走をして頑張っているのと同時に、いったいどこまで続ければいいのか…?続けられるのか…?色々な想いが出てきます。

いろいろな考え方はあると思いますが、私は我慢してしんどい顔をして接するよりも、適度にサービスを入れて休憩しながら介護するほうをお勧めします。

逆の立場に立ってみて考えてみてください。大切な人がつらそうな顔をして、必死に介護をしてくれているのを見て、幸せでいられるでしょうか?介護者の人が適度に休憩をとることで、残りの時間を自分と笑顔で接してくれていた方がうれしいと思いませんか?

無理をし過ぎないこと。すべてを自分だけで完璧にしなくてもいいんです。だって、介護する人も、される側も人間ですから。


 

  • ③治療について

主治医と、しっかり話し合いが出来る環境が大切です。

しかし、その信頼関係を築くのに要する時間やタイミングを取れない場合があるのも、残念ながら事実です。

例えば、この様なケースが考えられます。

・質問があるのに、長蛇の列で悪くて聞けなかった。
・大切なことや本音を主治医に伝えたかったのに、時間制限や場の緊張から、大切ではないことだけ伝えて、帰宅する日々が続いてしまう。
・主治医の前では緊張して何も言えなくなってしまう。
・主治医の機嫌を損ねないか心配してしまう。
・伝えたいことがあるにもかかわらず、短時間で伝える的確な表現が分からないため、話せていない。
・主治医の説明の中で、どこが大切のポイントなのか分からなかった。
・主治医が何人もいて、誰が正しくて誰が間違っているのか、迷って分からなくなった。

これらは、主治医とのコミュニケーションが改善することで、ご自身でも納得ができ、より治療に向かっていくのではないかと考えられるケースになります。

そこで、この場合に限り、個人カウンセリングをお受けいたします。
主治医がいることが、必須条件になります。(診断・治療は行いません。)

主治医とのコミュニケーション改善をすることで、治療に役立て頂けるようご提案させて頂きます。また非常にプライベートな事項ですので、個人情報はもちろん、主治医や受診機関にも公表致しませんので、ご安心して頂けたらと思います。

また内容次第では、お受けできない場合もございます。あらかじめご了承ください。

 

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